2010年4月22日木曜日

木曜日チャペル「留学で成長した私」

ようやく暖かくなるかと思えば、今日は激しい雨とともに肌寒さが戻ってきましたね…。
さて今日は木曜日。チャペルの日です。今日のお話は英文4年の中国人留学生徐暁萍さんでした。



チャペルが始まる前にアジア圏の留学生を集めて簡単に交流会を行いました。国際交流サークルの学生たちも参加し、月末に企画している新入生歓迎会の紹介をしていました。短い時間でしたが顔見せくらいにはなったかと。



さて徐さんのお話は「留学で成長した私」。上海の大学を卒業し、親戚の薦めで日本へ留学した徐さん。日本語学校での1年間を経て本学英文3年に編入し、困難を乗り越えた経験を話してくれました。





徐さんからスピーチの全文をもらいましたのでぜひご一読ください。


「留学で成長した私」



皆さん、こんにちは。私は徐暁萍と申します。「じょぎょうへい」という発音は日本語の発音で私の名前を言います。実は中国語で私の名前の発音は「シュウショウピン」と言います。私の趣味は音楽を聴くことと映画を見ることです。スポーツも大好きです。現在英米言語文化学科の言語専攻4年生です。

3年前、中国でまだ普通の大学生だった私は、その時留学するなんて思ってもいなかったです。ある日、日本で暮らしている叔父さんがお盆休みの時に上海に帰りました。そして、私の家に遊びに来た叔父さんに大学を卒業したらどうするの?日本へ留学に行かないかと聞かれたのがきっかけでした。私にとっては、海外留学というのは未知の世界であり、憧れでもありました。それに、一人っ子の私は、いつまでも両親の元にいると自立することができない気がするので、留学は自分にとっても成長する大きなチャンスだと思い、異国でどんな成長が出来るか、チャレンジしたい、日本へ行くことを決めました。ちょうど親戚の叔父さんは広島で暮らし、就職しています。だから私は2008年に広島に来て、留学の生活を始めました。

私は日本に来る前に中国で簡単な日本語のあいうえお50音図から、簡単な単語と言葉、例えば、「こんにちは」、「おはようございます」、「はじめまして」、「こんばんは」、「さようなら」などを勉強しました。やっぱり最初日本来た時、日本語はまだまだなので、YMCAビジネス専門学校の日本語コースで1年間日本語を勉強しました。そして、去年広島女学院大学の編入試験を受けて、合格した、2009年の四月から英文編入の3年生として大学の勉強を始めました。私は中国で小学校から大学まで、一回も女子の学校で勉強をすることがありませんでした。私の故郷は女子の学校が少ないです。というより珍しいです。小学校はなし、女子の中学校は一つしかありません、そして大学もありません。でも、広島に来て、いろいろな女子大学を耳にしました。女学院大学を選んだ理由は広島で最初に英語を教え始めた女子大学、伝統と実績のある大学だったからです。この歴史を感じる、そして美しいキャンパスで勉強を続け、自分を磨きたいと思いました。

最初来た時やはり全てが新鮮なので、わくわくの毎日でしたが、その興奮が次第にストレスへ変わりました。全く知らない世界の上に、物価が高く、学費を貯める為に、アルバイトもしなければなりませんでした。最初あるラーメン店でアルバイトを始めたが、アルバイトをした半年後、運悪く百年一度の金融危機に遭いました、ラーメン店もつぶれました。そして、新しいアルバイトを探すためにいろいろな店に電話をかけて、全部だめになりました。留学生にとってアルバイトを探すことが難しい、そして、まだまだ流暢とはいえない私の日本語が一番の壁でした。その時はホームシックになりました、さらに国へ帰りたいと思ったが、その後、友達が紹介してくれて、ファストフード「マクドナルド本通り店」でアルバイトを始めました。あの店は広島の中心なので、多分一番忙しいと思いました。ファストフードの店、商品をおいしく出す上でスピードが一番です。最初は右も左も分からないのに、いきなりハンバーグを作る仕事を与えられ、いっぱい焼けとしました。フライドポテトを作るには全然間に合わなかったです。今でも、あの時の傷痕が残っています。この傷跡は多分消えないと思いました。アルバイトは大変でしたので何度もやめてしまおうと考えました。しかし、生活がかかっているので歯を食いしばって続けてきました。

専門学校で一年間の日本語を勉強しました。クラスの中には中国人だけじゃなくて韓国人、ベトナム人もいるので、沢山友達が出来ました。学校のスポーツ大会、見学活動、クリスマスパーティなど、いろいろなイベントがあったので一年間は本当に早く過ぎました。
専門学校の卒業式のあった3月が終わってから4月には女学院大学の入学式に参加しました。日本の学校や、会社などはほとんど全部4月からスタートです。これは春を一年の季節の始まりと考えることが理由かなと私は考えしました。中国の学校はほとんど九月からスタートして授業を始めます。社会人は時期とかあまり関係なく、いつからでも働くことができます。入社式とかもないです。

去年から大学の授業が始まりました、最初の時は全然分からなかったです。ただ、この授業はどこの教室かぐらいかは分かります。他は、授業も自分で好きな科目を選ぶことができます。卒業まで卒論を出して、124単位を取れば順調に卒業ができます。このルールは中国の大学と全然違います。中国の大学の授業はもちろん卒論をだして、単位を全部取ったら卒業をできます。しかし、自分の専門の学科を越えては授業を受ける事ができず、同じ学科の中で小人数にクラス編成され、自分の専門の授業しか勉強できません。

日本の休日は中国より多いと思いました。大学生は年3回の休み、夏休みは一ヵ月半、冬休みは二週間ぐらい、春休みはもっと長かった気がしました。その上、学校の創立記念日やカレンダーで書いた赤の祝日なども全部休みでした。一年の間本当にちゃんと授業を受け勉強する時間はほぼ半年ぐらいしかありませんでした。中国の大学は年二回の休み、夏休みは二ヶ月、七月1日から8月31日までです。冬休みは大体二週間、正月の前後ぐらいです。そして、中国の大学の授業評価は最後までほとんど全部定期試験、日本の学校は先生によって試験の内容も違います。時々レポートで単位をもらえました。初めて聞いた時、本当にびっくりしました。中国ではレポートで単位をもらえるということはありません。この違いから見ると日本人はレポート大好きですか?

皆さん、あなたはある日自分が海外へ行って違う国で暮らすことになると、生活がどのようになるかについて、考えたことはありますか?
私の留学生活は言葉の勉強からスタートしました、その後大学進学についても悩みながら、アルバイトする日々を送りました。理想と残酷な現実のギャップを痛感しました。高い学費を払い、独立生活をするために、学校の勉強をしながら、アルバイトをしていました。何とか両立できました。留学とは言葉や知識の勉強だけではなくて、人としてこの社会に対する態度の勉強もしなければなりません。そして、考えも広がりました。一人前になるように努力して、頑張っています。人生の旅として、本当にたくさん得ることができて、貴重な経験になりました。自分自身の視野も広がりました、きっと成長したと思います。

中国で両親に溺愛されていた私は、留学の間、家の掃除、洗濯、料理まで、全部を自分でやらなければなりませんでした。最初は下手だったが、両親に電話を掛けて、いろいろな話を聞いた後自分が実際でやりました。私は、両親の元を離れて、一人でさびしさも、つらさも乗り越えて、学校とアルバイトを両立できるように頑張りました。私は心身ともに成長したと思います。今の私はもう子供ではありませんし、留学することも自分で選んだ道です。両親の元を離れ、これ以上両親に迷惑をかけたくありませんでした。やはり、努力の結果は人を裏切らない、徐々に上手になりました。世の中にできないことはありません、ただ心がけ次第と思いました。

さらに、去年から今まで、毎週の土曜日は「アジア人材資金構想」留学生育成事業プログラムの授業が勉強しています。この授業はつまり、留学生日本で就職支援といった授業です。さらに、去年の夏休みは日本の企業で5日間のインターンシップをしました。本当に勉強になりました。社員のみなさんが責任を持って一生懸命頑張って仕事をする姿はとっても印象に残りました。
丸二年間の留学生活に対しての苦労や幸せ、多くのことを体験することができました。今年は来日して三年目にはいります、大学も最終年度の勉強になります。私は卒業後の進路については、出来れば日本で就職したいと思いています。今まで留学体験で分かった自分に足りないところを、これからの留学生活で克服するように頑張りたいと思います。これからの道のりはまだまだ長いが、努力したら、いつかは収穫の季節を迎えることができると信じています。

今日はここで私の話を終わりたいと思います。ご清聴、ありがとうございました。

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